アメリカのオンナ-悦子の場合
悦子はどうやら、社会の中で、あまり交渉をせずに生きてこれたようだった。
それはきっと、彼女が所属していたかつての組織が、いわゆる一流だった、からなのだろうか。
悦子のことを、今の上司や会社、同僚に対して、大変上手にお付き合いされる方だなぁと思っていたが、それに比例して、悦子は不満も募らせていたし、上から目線でよく文句を言っていた。
わたしは、彼女とは会社が異なり、全く関係がないため、よくそのような話をする相手だった。
悦子だけではなく、40代くらいになると女は、それぞれが送ってきた社会生活の歴史によって、考え方や行動の違いが、より一層明確になる。
20代のうちに結婚をし、子育てにしっかりと向き合いながら、母親を中心としてきた女。
子供はいるが、働くこともそれと変わらず続け、他者の協力を得ながら、自分の居場所を確保してきた女。
結婚はせず、自分のペースを最も大事にしながら、恋愛を求めている女。
どの女も、それぞれの選択をしてきており、その選択の上で重ねてきた経験に、少なからず、自信を持っている。
それが、40代以上の女の、よく言えば強みであり、悪く言えば図々しさだといえる。
ほっておくと「おばさん」とカテゴライズされるし、たまに「イタイ」とか陰口を叩かれるのは、この強みからくるものだ。
「台風のときなんか、会社からなんの連絡もないから、無理矢理きたのよ」
「あの人は、あることないこと人に言いふらすから、余計なことを言わないようにする」
「結局あの上司は、人によって言うことがちがうから、同僚にも気を遣って、本当に困る」
など、悦子は不満はあるものの、自分から相手に向かって、意見を言うわけではないようだった。
悦子はなにか、問題を起こすわけではないが、解決に導くまでは、しないという選択だった。
わたしはそれを、交渉しないやり方だと、捉えたのだった。
悦子の考えや受け取り方が、おかしいとは思わなかったが、年上の彼女から愚痴を聞くたびに、わたしは「So,what?(で?)」という気持ちでいた。
もちろん、日本人のわたしは、忖度という言葉を理解している。
思ってもいないことは言えないが、「えー!」とか言いながら、聞き役に徹することが、わたしの役割なのだ。
しかし、ふと、こんなことを思う。
例えば、海外では毎回こんなとき、「Deal (取引き)」という言葉が、出てくるのではないか。
日本は遅れている、アメリカは進んでいる、という国としての違いはよくわからないが、日本で生まれ育ったわたしは、忖度を心得ているので、いつもその言葉を飲み込むのである。