アメリカのオンナ-悦子の場合
悦子は、母親としての自分をしっかりと受け止め、息子のことを大切に思っていた。
わたしは、悦子の母性に憧れ、尊敬していた。
話せば話すほど、悦子は強い信念を持ち生きていて、母である自分の女の部分は、息子がもっと大人になるまで見せたくない、とも言っていた。
悦子が離婚を決めたのは、10年ほど前だ。
夫の束縛があまりにもひどくなり、家から出られなくなるほどの状態になっていたそうだ。
アメリカ、という外国にいたこともあり、周りに彼女が心から信頼できる友人も、その時存在しなかったという。
ステイタスの高い、アメリカ人の夫との生活は、初めはとても幸せそうだった。
しかし、離婚するときには、取るものも取らず、逃げるように出てきた、と、言っていた。
お嬢様のような、おしとやかな印象のある悦子だったが、さまざまな話をしていくにつれ、彼女の頑固さや強さ、他人にたやすく自分のことを知らせない、サバイバル力の高さを感じるようになっていった。
疲れきった状態でアメリカから帰国し、当時まだ少なかったであろうハーフの息子を育てることは、他人が想像したところで、その苦労は絶対にわからない。
少しずつわたしは、なぜ悦子が、日本人、とか、アメリカ人とか、外国人、という言い方をするのか、知っていった。
そうやって区別をつけたほうが、諦めがついたり、割り切れることのほうが、多かったのだと思う。
そしてそれは、現実なのかもしれなかった。
ある日、悦子がひどく疲れている様子だった。
本人からなにか言わない限り、わたしはあまり他人の不調について、言及しない。
普段通りに悦子に話しかけてみると、こう返ってきた。
「息子が、大学を受験したいのかなんなのか、よくわからないで引きこもっている」
悦子の息子は、昨年高校を卒業し、志望の大学に受からなかったため、今年は家にいてどうするか考えている、とのことだった。
「うつ状態になってしまい、母親としてもなにが正解か、よくわからない」
たまたま、わたしの配偶者が鬱病であることを言ってあったので、悦子は息子の状態をわたしに話してきたのだ。
聞くと、悦子の息子は、とても思慮深い青年のようで、わたしの配偶者のような自暴自棄な男とは、またちがうように思えた。
しかも彼は、非常に若い。
「なにか、彼が興味があることはあるんですか?」
と、わたしは悦子に聞いてみた。
すると、さすがは悦子の息子だけあり、国際的な政治や文化について、興味があるとのことだった。
しかし、志望校に入学しなかったことにより、一度自分がなにをしたいのか、思い悩んでいるのかもしれない、と。
本人には大変辛い時期だろうが、十代後半の、素晴らしい苦悩のように、思えた。
「悦子さん、こういうの、知ってますか?」
その日から、わたしは悦子に、いや彼女の息子に向けて、遠回しにエールを送りたいと、思うようになった。
自己分析が簡単にできる、面白いサイト。
日本人の、若い世代がやっている面白い経済活動。
わたしが、若い頃に教えて欲しかった、大人がくれなかった情報を、勝手にどんどん悦子に渡していった。
日本で、これから学んでみたいこと、世界を見て、どんな大人になりたいか、想像すること。
自分が知らないことを、これから知りたいと思う、未来への進み方。
役に立つかどうかは不明であったし、悦子がそれを息子に渡すかどうかも、定かではなかったが、なにか、お節介をしたかった。
十代の頃のわたしは、親や先生という大人以外と、自分のことや人生について、話す機会など、なかったのを思い出していた。
代わりに、映画や音楽、漫画、小説、雑誌、そういうものから、それぞれの国の文化や人の生き方、自分の心が躍るものを、選んできた。
悦子の息子は、わたしが遠回しに送っていたエールの中から、何個かは選んでくれたようで、少し面白がっていたそうだ。
優しく、思慮深く、正義感の強い人だと、悦子は息子について語る。
悦子の息子は、この春、自分が学びたい事を教えてくれる大学を見つけ、入学した。
悦子の顔が、より一層柔らかく優しく光って見えたのを、覚えている。